イサカM37 フェザーライト

Ithaca M37 Feather Light Model


1880年創立の米国イサカ社の最高傑作が、「羽のように軽い」というネーミングのこのモデルでした。レミントン、ウィンチェスターとは違う独自のポンプアクション機構で、特にその軽さと実用性で、M37として米軍制式採用されました。KTWはこれを忠実にエアーソフトガンとして再現しました。

【仕様】

全長:1020㎜

重量:1450g

口径:6㎜BB

装弾数:46+6

付属品:スペアマガジン

機構:1発ー2発切り替え発射

   可変ホップアップ

   ポンプアクション

   エアーコッキング。
価格:¥18,800(税別)

2020年11月新モデルで発売。

2021年6月再販。

品切れ



銃身下の三角パーツ下部のボタンを押してカセット型マガジンを引き出します。

マガジンは46発入ります。

仕様にある装弾数46+6の[+6]は本体に残る弾の数で、銃を逆さにすると発射できます。

1発2発の切り替え発射レバーは中央に見えるパーツです。前へ押して1発、後ろへ引いて2発発射になります。なお、使用弾等の理由で3発出ることがあります。



トリガー後ろのボタンはクロスボルト式のセフティです。前の三角形のパーツはコッキング・リリースレバーです。コッキング後、このレバーを引くと再度コッキングできます。ポンプ動作を数回行い多弾数を発射するのに便利です。

ホップ調整は六角レンチを使います。KTW方式で、他機種と同じです。締めすぎると停弾するばかりでなく、ホップパッキンを破損してしまうので注意してください。マルイ0.25gバイオ弾でホップ調整済みです。

新モデルの特徴は銃口部です。

大口径の真鍮パイプでショットガンの迫力を再現しています。



分解の仕方(ソウドオフ・ポリスも同じ)

ストックを外します。中にウェイトの金属と固定用のスプリングがあります。

②マガジンを抜きヨークを外します。

③レシーバー内のシリンダー下部の止めフックをマイナスドライバーで圧縮して、先台を前方に抜き出します。



④マガジンチューブを抜き出します。

⑤レシーバー前部左右のネジを外し、アウターバレルを抜き出します。この際セレクタースプリングが飛び出すので注意してください。

⑥レシーバーの3本のネジを外し、左レシーバーを開きます。



⑦レシーバー内部構造は、このようになっています。ピストン・シリンダーの交換は、ここまで分解して行います。



注意(ソウドオフ・ポリスも同じ)

装弾のとき「マガジンレバーを後方に固定されるまで引いてください」と取扱説明書にあります。装弾を楽にするため中期ロットより追加変更したロック機構ですが、限られたスペースでの設計なため、かみ合いが浅く、しかもプラ同士のかみ合いのため、摩耗や変形でそのうちロックが効かなくなります。パーツ交換で直りますが、交換するのはマガジンフォロアーだけでなくフレームの左右になる場合もあり、そうなるとパーツ代はマガジン1本の価格と変わりません。

 レバーを引いたままの状態で弾ごめをした初期モデルの装弾方法がお勧めで、またその方法に慣れていただくようお願いいたします。


ITHACA M37 SAWED—OFFの話
ニューヨーク市の北西約300キロにイサカという町がある。イサカの名はここからきている。西部開拓もほぼ終わりを告げる1880年の創立だ。創業当時は木造の小さな工場で、有鶏頭(露出ハンマー)12番径ショットガンを造っていた。この第1作を発展させ、単身や二連のショットガンを量産し、イサカの名は世に知られるようになった。
 第2次大戦が始まると、他の銃器メーカー同様、軍需工場としてM1911A1(ガバメント)、M6(サバイバルウェポン)、M3A1(グリスガン)を製造することになるが、そのころ、新機種も開発していた。1937年に発表されたフェザーライト・ショットガンである。
イサカ社初のレピーター(連発銃)で、軍用を意識して設計された。当時、ショットガンで軍用に採用されるためには、ポンプアクションでなければならなっかた。第1次大戦のウィンチェスターM97(1897年発売)、レミントンM10(1910年発売)、ウィンチェスターM12(1912年発売)、そして第2次大戦で活躍するレミントンM31(1931年発売)と、軍用に採用されたショットガンはすべてポンプアクションだった。予定どうりイサカ・フェザーライトは軍に採用され、M37の制式名が付くことになる。
 M37フェザーライトは、既存のレピーターの長所を取り入れ、さらにそれを超える独特なデザインを持つことで評判となった。雨水や泥が入らないようにエジェクションポートが下にあるのは、ジョンDペダーセンがデザインしたレミントンM10を、バレルをワンタッチでテイクダウンできるのはT.C.ジョンソンのウィンチェスターM12を発展させたものだった。そして、なによりも優れていたのは、小さくて軽いことだった。小さくても12番径のパワーと装弾数に変わりはない。また、軽くてもアルミを使用すること無く、オールスチール削りだしの無駄のない設計により、強度の問題もない。
 この、小さくて軽いことは、戦後、多くの警察でパトカー搭載用に採用される要因となり、実戦の場でさらに永く活躍することになるのだが、M37の性能の本質が発揮されたのは、皮肉にもアンダーグラウンドの世界だった。
銃身と銃床を切りつめたソウドオフ・ショットガンである。原点は水平二連だが、装弾数の多いレピーターのソウドオフでは、ポンプアクションでしかありえない。オートでは多くがリコイル部が銃床内にあるためカット出来ない。仮に出来たとしても短銃身によるガス圧低下やリコイル圧底下で回転不良になる。数あるレピーターの中で、最も小さく軽いM37は、ソウドオフに最適だった。
銀行強盗やテロで、もっとも効果的に使用され、恐れられたのが9粒弾(ダブルオーバック)の装填されたソウドオフM37だった。
ソウドオフM37は、ベトナムでも使用された。海兵隊では、背のうに入れてイザというときに備える者が少なくなかったという。肩幅しかない狭いトンネルに入らなければならない時、ガバメントを持つより、ワンショットでガバ1弾倉分以上の威力を発揮し、しかも、どこを狙っても1粒以上は必ず命中するだろう9粒弾とソウドオフに絶大な信頼があったという。しかし、ベトナム当時のソウドオフは、公的な記録として残っていない。ダムダム弾禁止のジュネーブ条約(1949年)で、むきだしの鉛弾を発射するショットガンは、おもてむき戦争では使用していないことになっている。
 1975年のベトナム戦争終結後、平和な時代が続いて世界的に銃器産業が衰退する中、M37以外これといったヒット作のなかったイサカ社は、創立100年を過ぎた1980年代、その製造の幕を閉じた。
今日まで、M37より優れた小型軽量レピーターは、現れていない。もちろん、ソウドオフにして、これほどコンパクトな物もM37以外には無い。

                                                       文:壇植遜